支部長の部屋

キックボクシング創設50年

2014.08.20

お盆前の8月10日(日)ヒルトン東京で「キックボクシング創設50周年記念パーティー」が行われた。

キックボクシングとは野口修氏により命名された格闘技であり、タイのムエタイ(タイ式ボクシング)に日本の空手(極真空手)の試合を野口修氏がプロモートしたのが源流とされている。
それから50年、キックボクシングの源流は新日本キックボクシング協会の伊原信一代表へと受け継がれ、この度のパーティが行われた。
その記念すべきセレモニーに立ち会えたことは伊原信一代表を師とする私にとっても非常に幸せなことであり、師の歩んできた道のりと気持ちを思うと感激と感謝の気持ちがこみあげてくるのである。

私自身、13歳より格闘技を始めて40年。
当初は極真空手から入り、今はキックボクシングの道で修業しているわけだが、空手とキックの両方の道に末席ではあるが籍を置かせていただけたことは、男に生まれてきて幸せだったと心から感謝している。

実はこのパーティーが行われる少し前の7月27日に、私の空手の師匠であった関川 博明師範(元極真会館新潟支部長)が69歳で他界され、そのお別れの会が新潟市内のホテルで行われた。
集まった大勢の関川一門のメンバーと久しぶりに顔を合わせ、当時の思い出を話していると忘れかけていた記憶と歴史が少しずつ思い出され、師を亡くした悲しみが実感として湧いてきた。
思い起こすと実に色々な事が有った。
とうに自分の記憶からは消えてしまった事柄が他人の記憶から一つ一つ鮮明になってくる。
ブルース・リーなどの影響も有り一大格闘技ブームだった当時が懐かしい。
「何百人を超える弟子たちの中で、乙川ほど破門回数の多い弟子はいなかったよな」周りの仲間からそんなことを言われ、くすぐったい気持ちになった。
当時はみんな元気だったし、明らかに日本の世の中自体が元気だった。今一度当時の様な真っ直ぐで純粋な時代が来ないものなのか。今一度、格闘技ブームは来ないのか、50年の節目を迎えて壇上で挨拶をする師、伊原信一を見るとそう思わずにはいられなかった。

私は組織に群れるのは昔からあまり好まない。
自分は組織に就くのではなく人に就くタイプなので、残された格闘技人生は伊原信一代表と共に終えようと心は決まっているが、弟子達や一途に頑張っている選手たちを見るにつけ、何か自分に出来る事は無いのかと問い掛ける毎日である。
願わくば格闘技にご理解のある大勢の方々に、将来のある選手たちの為ご支援いただければと願わずにはいられない。(支部長 乙川敏彦)

記念写真 左から乙川敏彦支部長、伊原信一代表、日本プロスポーツ協会 島村宜伸会長、衆議院議員 菅原一秀氏

記念写真
左から乙川敏彦支部長、伊原信一代表、日本プロスポーツ協会 島村宜伸会長、衆議院議員 菅原一秀氏

 

伊原信一代表と日本プロスポーツ協会 島村宜伸会長、現在の新日本キックボクシング協会のチャンピオン達

伊原信一代表と日本プロスポーツ協会 島村宜伸会長、現在の新日本キックボクシング協会のチャンピオン達

 

アトラクションでの喜多村誠選手(日本ミドル級チャンピオン、新潟支部指導員)

アトラクションでの喜多村誠選手(日本ミドル級チャンピオン、新潟支部指導員)

 

 

 

 

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